[サンクリラン・カルスト洞窟調査]活動全体報告

■テボ洞窟

サンリラン・カルストの洞窟壁画

8月15日、ついに我々はテボ洞窟(Goa Tebo)にたどり着いた。許可取得に手間取り、計画より1週間遅れでの到着であった。飛行機、車、ボート、徒歩と連日の移動で疲れはたまっていたが、時間もないので早速調査を始めることにする。
水流の流れ出る洞口は高さ2m、幅1m程度で小ぶりだが、洞内には巨大な空間が広がっているという。

■はじめに
2010年8月、我々、早稲田大学探検部はインドネシアの東カリマンタン州において洞窟の測量調査を実施した。カリマンタンでの洞窟調査は、我々にとって困難続きであったが、日本でのケイビングでは考えられない貴重な体験をすることができた。以下に調査の報告を記す。

■経緯

遠征に持ち込む装備を吟味する

本遠征のきっかけは、インドネシア人ケイバー、チャヒョー・ラーマディ(Cahyo Rahmadi)氏との出会いであった。私がケイビングをはじめて半年ほどたった2009年の暮れ、東京スペレオクラブの会合に参加したときのことである。
チャヒョー氏は生物学の博士課程で茨城大学に在学しており、洞窟生物の研究をしている方だ。彼からインドネシアの洞窟の話を聞き、私はえんじ色の手形の洞窟壁画で有名なサンクリラン・カルストに興味を覚えた。このカルスト地帯には、幾度かフランスやインドネシアのケイバーが調査に来ているが、8000平方kmという広大さゆえ、まだまだ多くの未踏洞窟が残っているという。彼にサンクリラン・カルストの洞窟壁画を研究しているピンディ・セティアワン(Pindi Setiawan)氏を紹介してもらうと、2010年3月、私は早速ジャワ島のバンドゥン工科大学で教鞭を執るピンディ氏を尋ねた。
ピンディ氏から、現地の石灰岩分布や洞窟壁画、交通事情について話を伺い、その足でサンクリラン・カルストに向かった。インドネシア語もわからず、十分な装備も持っていなかったが、現地の大学生とガイドの力を借り、なんとかジャングルに分け入って夏の遠征候補地を決めた。
帰国してからはただちに隊員の募集を開始し、資金集めに奔走した。隊員は集まったが、素人同然であった我々は、週末になると毎週のように訓練で洞窟に通った。

■出発

ムラワルマン大学のアウトドアクラブで入域許可を待つ

背面に100Lザック、正面に50Lザックという重々しい格好で、隊員6名は成田空港に集合した。準備不足は否めなかったが、ついに出発のときが来てしまった。全員10kg近くも手荷物重量制限を超過していたが、経由地のフィリピン・マニラ空港で乾電池を40本没収されただけで、ほかは問題なくジャカルタの空港に降り立つことができた。
インドネシア大学のアウトドアクラブ、マパラ・ウイ(Mahasiswa Pencinta Alam Universitas Indonesia )の出迎えがあり、彼らの部室に泊めていただく。マパラ・ウイからは、エノス(Enos Nugraha)が隊員兼通訳として、調査に同行してくれる。
まずはジャワ島のジャカルタから国内線でカリマンタン島のバリクパパンへ飛んだ。そして、バリクパパンから車で3時間走り、東カリマンタン州の州都サマリンダに到着した。ここでも、ムラワルマン大学(Universitas Mulawarman)のアウトドアクラブ、イマパ・ウンムル(Ikatan Mahasiswa Pencinta Alam Universitas Mulawarman)の部室に泊めてもらう。お金の節約をしたい我々にとっては、非常に助かった。こちらの大学の部室は24時間解放されていて、夏休みでも寝泊まりしてる人がいる。

■許可の取得
ここサマリンダの環境庁で入域許可を取るのだが、そこで大問題が起きてしまう。サマリンダ到着の翌日、環境庁へ行くと、担当者から首都ジャカルタの事務所に行かないと許可は取れないと言われた。しかし、ジャカルタまで戻る金銭的余裕はないし、わざわざ飛行機で戻るのもばかばかしい。ピンディ氏に聞いていた話では、入域許可を取るのは簡単で、ただ事務所に一声かけるだけでいいという話であった。そもそも前回行ったときは許可なんて申請しなくても入域できた。
現地の学生が必死に事務所員の説得を試みるが、結局許可は取れなかった。無許可で行ってしまおうかとも考えたが、これだけの大人数で行くと村の交番で通報されて進めなくなってしまうという。途方にくれた我々はピンディ氏に電話で相談すると、たまたま彼が4日後にサマリンダに来るらしく、環境庁の人間に掛け合ってくれるという。

■洞窟へ

ベンガロン川の夕焼け

8月9日、ピンディ氏に会いに行くと、彼が東カリマンタン州の環境庁の署長に掛け合ってくれて、やっと許可取得に成功した。

 

     ついに出発!

 

サンガッタという都市で許可証を発行してもらい、車で半日かけてベンガロン川流域のスパソ村に行く。この村で小型ボート4艇と船頭、ガイド、ポーターを手配する。翌日、総勢15名でスパソ村を出発する。ボートで2日かけてベンガロン川を遡る。ボートからは、ボルネオ島固有種のテングザルやカニクイザル、オオトカゲ、そして4mを超えるクロコダイルなどさまざまな動物が見えて退屈しない。支流のマラン川に入り、ボートで進める限界まで行き、川岸でキャンプをする。このマラン川の上流が、今回我々が調査する洞窟地帯だ。

ボートで村へ戻る船頭3名に別れを告げ、翌日朝から徒歩でテボ洞窟を目指す。倒木を渡して川を越え、ヒルに咬まれながら湿地を歩いて、ついにテボ洞窟に到着した。ベースキャンプは洪水の心配がない、水流の流れる洞口から15mほど上がった別の洞口に設営する。洞内で野営するのも初めての経験だ。

巨大なナチュラル・ブリッジ(テボ洞窟)

■調査開始
ベースキャンプの周辺には、テボ洞窟、セデパン洞窟(Goa Sedepan)、タナー・リアト洞窟(Goa Tanah-Liat)という3つの大きな洞窟がある。テボ洞窟とセデパン洞窟、タナー・リアト洞窟はマラン山という標高350mの山に隔てられており、この3つの洞窟が洞内で接続しているという噂であった。我々の目的はこの3つの洞窟を探検して、その接続の有無を確認することである。
 準備が整ったので、朝からテボ洞窟に入洞する。どれほどの規模の洞窟なのかわからないので、とりあえずは奥部に向かって進んでみることにした。

10日間近くを過ごした洞口ベースキャンプ

水流の流出する洞口から入ってみるが、水底に足が着かず、テボ洞窟でのケイビングは泳ぎから始まった。10mほど泳ぐと足が着いたので、水流部を遡っていく。テボ洞窟はマラン川の豊富な水量で作られたようで、内部はなかなか広い。途中にはいくつか崩壊したドリーネがあり、日が射す部分もある。ところどころ泳ぎながら水流部を遡ると、2時間ほどで水流が流入する洞口にたどりつき、そこで洞窟はおわっていた。たしかに大きな洞窟ではあるが、洞内の水流は蛇行しており、距離的にセデパン洞窟、タナー・リアト洞窟には接続しそうにない。

難儀した水流部の測量(テボ洞窟)

翌日から二班に分けて測量を開始するが、測量経験のほとんどない我々は、初めての水穴の測量に大いに戸惑った。基点をとろうにも、水流部では足が着かないし、洞壁は滑らかでつかまるホールドもない。しかも水に浸かっていると、だんだん身体が冷えてくる。熱帯、しかも赤道直下の洞窟だからと、ほとんど防寒対策をしてこなかったのだ。結局、テボ洞窟の調査には計4日もかかってしまったが、ほかの洞窟との接続は見つからなかった。

■タナー・リアト洞窟、セデパン洞窟

ハム洞窟の手形■

テボ洞窟の測量を終えた我々の次なる調査対象はタナー・リアト洞窟である。タナー・リアト洞窟へ行くにはマラン山を越えなくてはならないため、野営地も移動する必要がある。隊員2名が体調不良で動ける状態ではなかったため、彼らとその看病にあたる3名をテボ洞窟に残し、7名でタナー・リアト洞窟へ向かった。
山越えは厳しく、崖のような所をガイドが鉈で道を切り開いて進んでいく。途中で狭い洞窟を通り抜けて、100を超える手形の発見されたハム洞窟を訪ねた。この手形と壁画は、1万年以上前に描かれたものだという。彼らはどういう目的で、わざわざ岩山を登って、こんな人の寄りつかない洞窟に手形を残したのだろうか。調査を進めるフランスの考古学者によると、何か伝統的な儀式に使われた洞窟だという話である。
マラン山を滑り落ちるように下りて、タナー・リアト洞窟にたどり着いた。ドリアンの木がある近くの平地にキャンプを設営する。

二次生成物の成長著しいタナー・リアト洞窟

タナー・リアト洞窟は、テボ洞窟に比べると通路は細めで水流もない。ただ、支洞がそこかしこに伸びていて、構造は複雑だ。ひとつの支洞にあたりをつけて進んでみると、遠くに滝があるような轟音が響いている。水流部かと期待して先を急ぐと、無数の黒い点がうごめいているのが見えてきた。なんと音の正体は無数のコウモリの羽ばたく羽音であったのだ。コウモリの大群が洞口に向けて飛び立つ姿は壮観であった。
一日かけて探検してみたが、ほかの大きな洞窟への接続は見つからなかった。残された時間がなく、測量はできなかった。

巨大な石灰岩壁が聳え立つ(セデパン洞窟)

翌日、調査の時間は残されていないが、内部の確認のため、セデパン洞窟へ赴く。徒歩で1時間半の行程だ。1時間ほど歩くと、大きな石灰岩の丘陵が見えてきた。そこに大きな穴が開いているのが遠くからでも見える。洞口近くの高台には小屋があり、人が立っている。盗賊からアナツバメの巣を守る守衛だ。アナツバメの巣は中華料理の高級食材で、その収穫地は政府によって厳重に警備されている。
洞口への道には柵があり、ガイドのテウェト氏が扉を開けて入ると、守衛が興奮して銃を片手に「Dari mana?(どこから来た)」と叫んでいる。テウェト氏が「Dari Bengalon(ベンガロン川からだ)」と答えながら近づくと、突然耳をつんざくような轟音がジャングルに響いた。守衛が我々を盗賊と勘違いして、空に向けて威嚇射撃をしたのだ。テウェト氏が叫びながら事情を説明すると、ようやく守衛は納得して、我々を小屋へ招き入れてくれた。

高さ80mを超える空間を持つセデパン洞窟の入口

守衛に話を聞くと、たまたま盗賊が前日、前々日と現れたらしく、警戒していたのだという。こんな奥地に、そんな頻繁に盗賊が現れるとは驚きだ。
なんとか入洞の許可を得られたが、入らせてもらえたのは洞口周辺のみであった。セデパン洞窟はこの地域で一番巨大な洞窟と言われているだけあって、テボ洞窟をはるかに凌ぐ大きさである。すでにフランス隊が調査済みで、総延長は8kmあるという。洞口の写真だけ撮らせてもらい、盗賊が怖いので早めに退散することにした。

■帰路
 タナー・リアト洞窟の周辺には、ほかにもいくつか洞窟があるという話であったが、滞在時間も残されていないため帰路につくことにした。
行きと同じルートで山を越え、ボートで川を下って3日かけてスパソ村に戻り、自動車と飛行機を乗り継いで1週間後、ようやく日本に帰ってくることができた。

■反省
 約1ヶ月間インドネシアに滞在したが、実質調査期間は11日間、入洞した洞窟が計5つ、測量した洞窟は2つだけで、思うような調査はできなかった。成果としては、未測量の2洞窟を測量したこと、噂されていたテボ洞窟とほかの洞窟との接続がないことを確認したことであろう。
 また、今回は怪我なく全員が帰ってくることができたが、もし大きな事故が起きても我々の技術では対処できなかったであろう。救助体制の整っていないインドネシアの、特にアプローチに数日もかかる奥地でケイビングをするには、相応の救助技術が必要だ。2007年には、フランス隊の調査中にポーターが滑落して死亡する事故も起きている。

カリマンタン再訪を誓う白沢

さて、今回の調査では満足のいく成果は得られなかったが、近隣地域の未調査洞窟の新たな情報も入手できた。特にカルスト北部の山岳地域には多くの竪穴があるという。来年以降は、この竪穴の探検を視野に入れて調査を続けていきたい。

記入:佐野洋輔