モンゴルゲルプロジェクト報告(2015年3月~11月)

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はじめに

インタビュー、材料提供等に協力して頂いた方々に心から感謝を申し上げます。また、決 して楽ではない、全く楽しくない作業を完成するまで根気強く続けてくれた探検部部員を 誇りに思います。

 

モンゴルゲルとは

モンゴルゲルとは、モンゴルの遊牧民が生活をする移動式住居である。昔は馬で運び移動し ていたが、現代ではもっぱらトラックで運ぶらしい。

竹取

活動経緯

  • 廃墟活動を終えて 1 年が言い放った言葉が、未だに私の胸に刺さっていた。「俺、ザッ クとかテントって別に必要じゃないのかなぁって思うんすよねぇ…。」
  • 確かにそうだ。いつの間にか私はアウトドア用品がないと生きていけない、固定観念に 縛られた、視野の狭い人間になっていたと気付かされた。
  • そして、アウトドア用品を極力使わない活動がもっとあれば、何か今までと違った探検 部になるのではないかと考えたのだ。
  • 手始めにゲルをやってみようかなぁと思う。ゲルが完成した後に、『ゲルを使った活動 には何があるか』と考えるだけでも、今までとは何か少し違うと私は思う。

(企画当初の)活動趣旨

  • テントやシュラフなどを使用しないことで、アウトドアサークルではない探検部の新 たな方向性を見出す。
  • 新入生との共同作業により、団結する。

 模型

活動の流れ

1. 情報収集

  • インタビュー、インターネット、文献等

2. 材料調達

3. モンゴルゲル製作

  • 設計・デザイン、製材、製作

4. 早稲田祭展示

  • 組立

 部室竹

活動詳細

情報収集

何十時間もパソコンと睨めっこしてインタビューできる人を探した。そして、福岡の モンゴル料理屋さんと東京の建築ミュージアムにお話を聞くことができた。どちらの 方もとても親切に質問に答えて頂いてとても参考になった。正直なところ、あっちから したらモンゴルゲルをつくりたいという変人だろうなと思ったが、想像以上に優しく 接して頂いて、とても感動していた。応援して頂いて嬉しかった。

材料調達

こちらもインターネットで調べに調べて、千葉の房総半島の放置竹林を対象に活動 している NPO 法人があることが分かった。情報収集と同様にすぐに電話をして許可を とり、後日、活動に参加して竹を譲って頂いた。自分で切った竹で住居を作るのかと思 うと実に感慨深かった。早稲田までの運搬は、1t トラック借りて前幹事長の松田さん に運転してもらった。途中の高速道路で竹が落ちないかととてもヒヤヒヤだったが、な んとか無事に運ぶことができた。早稲田に着いてからは、その50本以上の竹を3階の 部室まで持っていくという肉体労働をした。

モンゴルゲル製作

1、2 カ月でできるかなぁと考えていたがだいぶ甘かった。手作業でする作業は驚く ほど捗らず、全然思うようには進まない。作業開始当初はナチュラリスト的なノリで、 全ての作業を自然に近い材料を使ってハンドメイドでやろうとしたのだが、これがま た地獄だった。本当に終わりが見えなかった。飽きっぽい探検部員はどんどんと非協力 的になり、次第にゲルを馬鹿にするようなった。探検部とは実に恐ろしいものである。 結局あきらめてドリルと百均の結束バンドを多用した。それでもなかなか地味な作業 が延々と続き、なんとか 7 ヶ月で早稲田祭の展示に間に合わせた。屋根の長さなど建 築学科のような計算は理系の黒田君に手伝ってもらった。作業の割合としては、おおよ そ側面 60%、屋根 10%、その他 30%だった。支柱は細貝、ドアは大越に主にやっても らった。ドアのデザインはうまくモンゴルゲルっぽいデザインに仕上げてもらった。

早稲田祭展示

組み立てるのに思った以上に時間が掛かり、組み立てる工程も展示の一部となった。 試行錯誤しながらなんとか建てた。かなり頑丈で安定していてホッとした。側面の布部 分を工事などで使う比較的安価なシートで代用したため外から見ると若干チープにな ってしまった。だが、やはり中から見ると構造美が凄かった。側面の竹が格子状に混じ り、そこから中心の天窓に向けて屋根の竹が伸びていて綺麗だった。

設計図

部分別詳細

ゲル部分 担当者 作業内容

ハン(側面) 村田、西原、黒田、小 野寺、竹中他多数

竹を6つ割り機で切り、それをドリルで穴 をあけ、結束バンドを通した。

オニ(屋根) 村田、西原、細貝等

側面と同様に6つ割り機で切って製材し、 針金で固定した。

トーノ(天窓) なし

ガーデニング用の車輪をインターネットで 購入し、使用した。

ハーラガ(ドア) 大越、小野

大学の廃材置き場で拾った木材と強化段ボ ールを組み合わせて作った。ヒンジとドア の取手部分を強化段ボールに接着するのに 苦しんだ。

バガナ(柱) 細貝

細貝宅の不要なテーブルを利用した。真ん 中に穴を開け、そこに竹を1本立てた。

シャラ(床) なし

部室にあった敷物を敷いた。

ガドールブレース(側面を 覆う布) なし

ブルーシート(白)を使用。

ウルフ(天窓を覆う布) なし

ブルーシート(白)を使用。

ブスルール(側面を縛る紐) なし

縛る必要がなかったので、製作せず。

材料一覧

材料 調達先

  •    千葉のNPO法人で実際に生えている竹を切って、譲って頂いた。
  • 結束バンド   百均で購入。
  • 天窓   インターネットでガーデニング用車輪を購入。
  • 針金   ホームセンターで購入。
  • ブルーシート   インターネットで業務用のものを購入。
  • 木材   大学の廃材置き場で拾った。
  • 強化段ボール   大学の廃材置き場で拾った。
  • テーブル   細貝宅から寄付。
  • 敷物   部室にあったものを使用。

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感想

部員たち

  • ゲルはとても目立って例年より多くの人がブースに来てくれた。(早稲田祭に)モンゴルゲルがあって本当に良かった。
  • (ゲルの中でお菓子を食べながら、)ゲルはとても落ち着く。竹がいい雰囲気を演出し ている。
  • うちより広い。

早稲田祭来場者の声

  • 超構造体みたいで素晴らしい、宇宙を感じる。
  • 竹の格子状が美しい。
  • (ゲルを指さして)テントだー!

 

探検部1年大越

久し振りの感覚であった。なにかを満足のいく形へと試行錯誤しながら近づけていく時のあの静かな興奮は。私が小学生であった時には毎日のように感じていた懐かしいそれに身を浸しつつ私はゲルのドアをつくっていた。

ゲルの壁?わからない。それは村田さんがやってくれる。私はただドアをつくっていた。設計図を元に材を集めて寸法通りに切り出して行く。設計図?わからない。それは村田さんが知らんうちにつくってくれた。私はただドアをつくっていた。

寛志さんのアドバイスも聞きながらつくって行く。そして、戸板の素材をそのアドバイス通りに強化段ボールにしたことが困難の始まりだった。それは中空であるが故にネジを受け付けない。ネジが入らない戸板などどのように固定しろというのか?作業は困難を極め、中断せざるをえなかった…。(プロジェクトエェーックスゥ……。。)まぁ、なんやかんやで形にした。(説明めんどい。実物見りゃわかるはず。)デザインは好評であった。感覚的にペインティングして行くのはあの興奮のなかでも至福のものであった。ドアが完成した時その興奮は頂点に達し、大きな満足感と達成感に包まれた。

ゲルの全パーツを現場に搬入し、いよいよ組み立てである。当たり前だがゲルのパーツはドアだけではない。他は誰がつくったのか?それは村田さんがやってくれた。全てが終わると中々壮観なものが出来上がっていた。ゲルは視覚的インパクトと素晴らしいスペースを提供し、早稲田祭の成功に大きな貢献を果たした。全ては村田さんがやってくれた。言いたいことは村田さんありがとうございましたと、その一言だけである……♪ヘエェッドラアアァァァイッ♪テエエェッラアアァァァイッ……

探検部1年小野寺

ゲルの製作は、電動ドリルで穴をあける、結束バンドを通す、竹同士を編む、の繰り返しだ。この単調な作業にはすぐ飽きる。探検に必要な忍耐力が培われるのだ。CL村田に思わず弱音を吐くと、当初の計画では桐で穴を開けて、自然の素材に近いもので竹を編む構想だったと言う。信じられない。もう早稲田祭はすぐそこだ。この日の作業人数は二人だった。それは決して珍しくはないことだった。いつも黙々と終わるかわからない作業を少人数でやっていた。そう、このモンゴルゲルプロジェクトは無謀なCLの夢だけで始まったものなのだ。我々探検部員はこの夢の犠牲となったのだ。犠牲の犠牲にな。早稲田大学探検部ゲル製作チームはあまりにもブラックだった。ダーカーザンブラック。それは黒よりも黒い漆黒の闇。ひたすら繰り返される単調な作業。集まらない協力者。リーダーシップのない超ネガティブリーダー。終わるか分からない単調な作業。作業報酬の少なさ。電動ドリルの穴あけが雑な部員。竹を編むのが雑な部員。挙句の果てには、早稲田祭前にゲルの準備に遅刻しそうな時、CLは「みんな来ているよ」と見え見えの嘘の連絡を全員によこしている始末である。結果、早稲田祭までに、ゲルは完成したとはいえない。部員は口々に完成したと言う。だが、それはあの単純作業を経験してないから言えるのだ。ゲルを編むのは不十分だし、結束バンドの処理は全くできていない。このままでは使っていくうちにすぐメンテナンスが必要になるかもしれない。いずれ、モンゴルゲルがガラクタとなり、忘れ去られていくかもしれない。いや、そんなのは駄目だ。このモンゴルゲル製作の犠牲を無駄にしてはならない。なかったことにしてはならない。絶対にだ。そのためにこのモンゴルゲルは後世まで伝えていく必要がある。これが我々現役の使命なのだ。作っただけで満足してはならない。この報告書を読んでいる探検部よ。倉庫の竹のガラクタはゲルなのだ。どうか忘れないでほしい。我々の犠牲を。

 

探検部3年西原

この計画が部会で出た当初は多くの部員が協力を表明していたが、実際に製作が始まると参加者が非常に少なくその参加者も1人また1人と減っていき自分と村田の二人になってしまった。そのため作業の効率が予想よりもかなりおそくなり、結局完成までに半年以上かかってしまった。それでもなんとか作業を進め、もう少しで完成というとこで他の部員たちが協力を申し出てくれたのでそれから完成まではほとんど時間はかからなかった。

この計画から我々(西原と村田)が得たことは、挑戦する者に対していかに世間(探検部)が冷たいか、ということである。計画当初は快く協力を約束した部員たちもすぐに手のひらを返し、部室においてある竹たちを罵倒し始め村田は危うくゲル廃人になるところであった。挑戦する者に対して神は試練を与えるというが今回はさすがに神様もちょっとやりすぎたんじゃないかと思う。もしそうでないなら村田が前世で犯した罪があまりにも大きかったのであろう。

もしあのまま村田が壊れてしまったら、と考えると私は今でも背筋が凍るような気分になる。そうなってしまったら自分は廃人のとなりで作業をしなければならなかったのである。だがそんな恐怖にも打ち勝ち、私は村田と共にゲルを完成させることができた。かつてアジアからヨーロッパを征服し世界を席巻したモンゴル帝国でさえも我々のような極度のプレッシャーと精神崩壊の可能性という過酷な環境におかれていてはあのような大帝国を築くことはできなかったかもしれない。我々はかの帝国に負けないくらい大きな偉業を成し遂げたといっても良いかもしれない。この計画の成功は今後の人生で大きな財産になると思う。どんなことでも最後までやりぬく力を私はてにいれることができた。

他にも書きたいことはあるが、長くなりそうなのでとりあえずここまでにしたい。

最後に、この計画を企画し、最後までやりぬいた村田に心からの賛辞と敬意を表したい。

彼のリーダーシップと最後まで完成をあきらめない姿勢がなければ、この計画は途中で頓挫していたであろう。

ゲルを作れる人材をお探しのゼネコン各社の人事担当の皆様、竹によるゲル製作に関して村田の右にでる者はいません。彼の採用をぜひご検討ください。

人間ボーリング

探検部3年黒田

くろだ竹


探検部4年松田

就活中で忙しいなか、突然村田から竹を運ぶのを手伝ってくださいと言われた時は、彼は頭がおかしいんじゃないかと思った。その思いは実際に運んでいるときも変わらなかった。軽トラに毛が生えたようなやつを運転して千葉の竹林に赴いたはいいものの、竹は予想以上にデカくて重いうえ、荷台に入りきらないものもあり、車に積み込むだけで辛かった。竹を積みいざ出発となったところで、私の失態により車のバッテリーがあがってしまい、たまにしか通らない車に必死に頼み込んで何とか復活させた。帰りも高速で車が揺れるたびに竹が落下しないかひやひやした。学館に着いて竹を運ぶのも辛かった、、、 しまいには俺が竹を運ばなければゲル地獄に陥らなかったと言われ、、、 色々災難続きだったが、村田が無事ゲルを作り終えたときは、よくやったと感動したのも確かである。彼の努力の結晶なので、末永くゲルが探検部に受け継がれていくことを祈っている。

運転お疲れ様でした。

CL探検部3年村田

計画段階では1,2ヶ月でサクッと作って、夏休みにゲルを利用した活動をする予定だったのに、気付けば7ヶ月が経っていた。単調な竹を編み込む作業は我々の精神を極限まで追い込んだ。なぜこんなことをしなくてはいけないのだ、俺は前世で一体どんな大罪を犯したのか…等を考え始め、精神が本格的に崩壊した状態を体験できた。部室でひとり竹を切って竹を編んでを3時間繰り返していたときが一番辛かった…製造業がどれほど大変かわかった…

また、作業を手伝わない部員ほど「竹が邪魔だ」「竹燃やそうぜ」などと戯言を並べ、私は幾度と○意が湧いたものだ。燃えるべきなのは竹ではなく、こいつらであろうと。

つまりは、竹を運んだり、竹を編んだり、非協力的な部員を黙らせたり、もう何が何だかわからないような壁を数多く乗り越えて、やっとこのモンゴルゲルは完成したのである。何度もくじけそうになって、止めた方がいいんじゃないかと何度も思った。しかし、今まで協力して頂いた人たち(インタビューを受けてくれた人、竹を譲ってくれた人、竹を運んでくれた人等)の顔を思い出すとそんなことはできなかったし、自分だけの活動ではないと思った。

他の探検活動にも共通するが、やはり新しいことをしようとするとかなりの苦労が伴う。だが、そういった新たな挑戦から、その苦労を知ること、乗り越えること、その苦労から日常の当たり前の価値を実感し感謝することを経験できる。この経験は他の何物にも代えがたいと私は思う。

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竹を6つに割る六つ割機とともに

文責 村田

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