無人島2015 無人島生活日記

無人島合宿2015

無人島生活日記

メンバー 細貝(CL)矢野(SL)大越、中川、小野寺

~はじめに~

2016年も無人島合宿が行われた。2015年の無人島合宿に参加した小野寺の日記から両活動を比較していただくことが記事作成の目的である。

~参加への動機~

登場人物が無人島に行く、あるいは漂流する小説や映画は世に数多く出回っているが、はたして実際に無人島で生活したことがある作者はどれだけいるだろうか。その手の小説は、数あるジャンルの中でも私にとっては特に、登場人物の心理描写、風景の描写、何から何まで違和感を持たずにはいられなかった。しかし、どうしてそう感じるのかを上手く説明することができないもどかしさもあった。実際に体験してみなければ分からないこともあるだろうと思っていた私には、今回の幹事長が立てた計画は絶好のチャンスだった。それが私にとって無人島へ行く数ある動機のひとつだったと思う。

~活動概要~

「無人島に行くなら何持っていく?」という、聞いて何にもならない永遠のテーマが巷で話されている。その意味のない問いに忠実に答えたものが今回の活動だ。まさにリアルサバイバルといえよう。

椛島からツブラ島までゴムボートを漕いで行く。そして、3日分の水と米で食い繋ぎ、不足分は自らの力で自然から獲得する。その間に船を造り島から脱出する。

2015年8月

長崎県五島市伊福貴町ツブラ島  日の出 05:40   日の入り 19:10

・面積1.47 km²   ・最高標高276 m

ツブラ島(つぶらじま)とは、長崎県五島市にある無人島である。以前は人が住んでいたが、昭和17年、島の島民8人が犠牲となる機雷爆破事件をきっかけに離島者が増え、無人島化した。椛島伊福貴地区の北約1kmにあり、島の形がカタツムリに似ていることからこの名が付いたという。島の北部にある大池には、大ウナギが生息するといわれている

~6日~

この日。そう8月6日はすでに本来ならば、無人島に到着している予定だった。しかし、色々と事情が重なり、我々は福江からタクシーで10分ほどの温泉宿泊施設「コンカナ王国」のクーラー完備の待合室でゆったりと、気ままに、ソファーに腰をかけながら温泉に入れる時を待っている。このすばらしき文明の産物達は、俺から無人島へ行く意欲を失わせていく。嘘だ。さて、メンバーの様子はどうであろうか。矢野さんは優雅に観光雑誌を読んでいる。皆、表向きは観光モードに移行してしまったのだろう。だが根っこの部分では、みな無人島への意欲を失っていないと思う。

福江の様子も記しておこう。ここ福江は教会が建っているだけの田舎の島、というイメージが無知な私にはあったが、知れば知るほどここは異国のように感じる。高校は石田城跡に建てられ堀で囲まれている。これでは生徒(問題児)は脱走できない。問題児にいわせればプリズンスクールなのだ。そして特にこのコンカナ王国もつっこみどころが多い。名称は「来んか」に島の方言の「な」という丁寧語を意味する助詞が組み合わされているらしい。マーライオンがそびえ立ち、また南国風のガレージにプールが設けられている。沖縄とシンガポールがフュージョンしたようなところであるようだと感じた。因みに温泉は気持ちよかった。

~7日~

ついに無人島に到着した。三個のゴムボートを一列に細引きでつないでいたのだが、私は真ん中で荷物番をするだけで荷物と同化していた。お荷物状態だった。ただただ運ばれているだけだったのだからメンバーはさぞ私が憎たらしかっただろう。無人島に向かっている最中は期待に満ち溢れていて楽しくてしかたがなかった。

しかし、着いてみるとそこは日光が照りつける灼熱の地獄だった。着いて早々に重たい荷物を運ばなくてはならなかったせいか、もうすでに疲労困憊だった。細貝さんと中川が湖を探している間に休息を取らせてもらった。そして、待ちに待った道具のお披露目会だ。細貝さんはナイフ。大越は鉈。矢野さんは鍋。中川は銛。私が虫眼鏡を出した時のメンバーの反応は微妙だったように思う。それにしても、この道具のチョイスにどことなくメンバーの性格が表れている気がする。

皆、中川のモリを使ってはやく魚を取りたいのだろう。そんな中、私の気持ちだけが例外だった。そんなことを体力皆無の俺がやっていては、すぐに力尽きてしまうだろう。世の中には、適材適所があるのだ。そうやって無理やり自分を納得させた。気がつくと太陽は雲に隠れ、夕方が迫ってきた。そんな中、ひとりで休みながら、虫眼鏡で火が起きるか実験してみた。無論、もう陽も出ていないし、今日は無理だろう。皆は銛で魚を取りに行っていた。「とったどー!!」というお決まりのセリフが響く。もうみんな元気そうでとても楽しそうだ。

そして、今日の晩御飯は生米だった。それは、火が起きないのだから当然である。皆の視線が私の心に突き刺さる。後ろめたさもあるが私だけの責任ではないはずだ。たまたま陽が出ていなかったのだ。それに、生米を食べるのも良い機会である。消化には良くないのでお腹を壊さなければよいが。魚は何匹かとれたようだが、そのまま刺し身にして食べるほどまだ事態は緊迫していなかった。どう考えても火がつかないのに海へ出向く彼らも彼らだが、このままずっと火がつかなくては、俺が中川の銛で串刺しにされかねない。明日は、天気予報通り晴れなら必ず火を起こせるだろうという楽観的な推測の反面、もし火が起きなかったらという不安が沸々とわき上がってきた。

~8日 朝~

島の朝は早い。5時前起き。いや正確にはほぼ徹夜。夜を徹して奴と俺は戦わねばならなかったのだ。ここで地獄の夜を思い浮かべる。いや、もう2度と思い出したくはないのだが。記憶から抹消したいくらいなのだが。日記を書く上では仕方がない。蚊だ。恐ろしいほどの蚊の襲来によって一睡もできなかったといって良いだろう。潰しても、潰しても、潰しても、すぐにどこからか湧いてくる。3時を過ぎた頃にはプ~ンという音がもはや本当に聞こえてくるのか、幻聴なのか分からなくなっていた。このままではまともに休息を取ることはできまい。以上のようなことが書かれている南国の無人島に漂流する冒険小説は実に正しいと断言しよう。

~8日 夕方~

昼には炎天下の中、虫眼鏡と4時間ほど格闘していた。落ち葉や木屑などをかき集めて日光を当てる。すると煙はすぐに出てくるもののなかなか火がつかないのだ。途中で大越が手伝ってくれたので事態は良い方向に向かったが、後一歩のところで駄目だった。11時を過ぎるころには、ひとり絶望していた。遊び半分で落ちていた長さ40センチほどの流木に日光をずっと当てていること5分。もくもくと大量の煙が立ち上ってきた。これはいける!と確信するも火は着かない。最後の希望が断たれた。そこに細貝さんが帰ってきた。「貸してみ」と言って彼は煙を放出している木に思いっきり息を吹きかけはじめた。すると一気に火が立ち上った。ありがとうございます!

~9日~

うああああ。もう日記を書くのが面倒になってきたー。とりあえず島の生活スケジュールを書く。朝から12時までは筏を作り、そこから16時あたりまで睡眠をとる。睡眠不足の影響から、何も可笑しくないのに笑いがこみ上げてくる。にやにやしてくる。これはストレスへの防御反応だろうか。そして夕方に、作業再開。そしたら、この日突然、巨大なブイが漂着する。あれは、本当に偶然なのだが、神からの贈り物だとかいうスピリチュアルな説明でも納得できてしまう。昔の宗教、神話、伝承は、元はこんな偶然命が助かる場面から始まるのではとふと思った。そして、日が暮れる前にごはんを食べる。ごはんは炊いた米だけだ。不思議とそれだけで満足する。結局魚を食べることはなかった。もう銛は壊れているし、魚を捕る気力がなくなってきている。魚を捕る暇があれば筏作りに専念する。私の役目は主にブイを拾い、ロープをほどくことだ。サポートキャラである。はやく筏を作って脱出したい。その思いは皆同じだ。そして、今夜も眠れぬ夜がくる。マジクソ死ね!

~10日 夜~

ついに福江に帰ってきた。筏は重量がありすぎて思うように進まず、途中でゴムボートに乗り換えたけど。きっちり1週間無人島生活はできなかったけど。蚊がいない場所で、平らなベンチで、こうして寝袋で眠れるならもうそれで良いのだ。

~感想 (10月4日)~

当初の幹事長の計画と比べて無人島での滞在期間を短くしたことや全員一致でプライドを捨てて、筏での脱出を諦めたことは今でも正しい決断だったと思う。というか諦めざるを得なかった。それくらい過酷だったことを理解していただきたい。

あれから2か月経っても、ほぼ毎日といってよいほど、考える事がなくなると長崎で過ごした日々を思い出す。それくらい私にとって強烈な1週間だった。虫眼鏡で火がついた時の安堵感。筏が浮いた時の興奮。無事に長崎に帰還したときの幸福感。帰還後のビールの美味しさ。必ず私の回想は全てここらに帰結する。そこに至るまでの過酷な過程の記憶は日焼け後と共に薄れていっている。今思えば楽しかったと言えなくもない。

この企画は無人島を侮っている部員や来年入部するであろう1年生にも同じようなことをさせたら良いと思う。しかし、以後は今回の反省点を考慮し、蚊への対策を講じるであろうことから、無人島生活はあまり過酷ではなくなるであろう。それが少し残念である。

~追記~

虫眼鏡を道具に選んだ理由は、火を簡単に起こせる道具ではつまらないというメンバーの意見を参考にしたためである。

文責 小野寺

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