カムチャツカ未踏峰登頂遠征

■はじめに


2017年8月、当部はロシア、カムチャツカ半島、コリャーク山脈にて山脈最高峰レジャーナヤ(2453m)の外国人隊初登頂並びに人類未踏峰の登頂を目指し遠征を実施した。目標とした山脈最高峰の登頂は叶わなかったが、人類未踏峰の登頂に成功し、現在ロシア地理協会と交渉を行い命名権を得た。「ワセダ山」(гора Васэда)と命名する予定である。
以下では、本活動の報告をいくつかの項目に分けて公表する。

■目次


1.活動概要
2.行動記録・活動結果
3.報告書(製作中)
4.メディア出演・報告会など


1.活動概要


◎隊員:6名

◎日程:2017年8月4日~9月14日

◎活動地域:
ロシア北東部・カムチャツカ地方
コリャーク山脈

◎目的:
ロシア北東部、チュクチ自治管区・カムチャツカ地方にまたがる「コリャーク山脈」において山脈最高峰Ledyanaya(2453m)の外国人隊初登頂、ならびに周辺の人類未踏峰の登頂

◎アプローチ:
アプローチには貨物輸送用のヘリやキャタピラトラック(チャーター)を利用して山脈から最も近いチュクチ民族の村まで向かう。(*入域に際してはロシア保安庁FSBより許可を得た。)

画像1)カムチャツカ半島北部・コリャーク山脈

画像2・3)キャタピラトラック、ヘリ

村から山脈最高峰まで120km程度。道やトレイルは存在しない。ピークの平均は1000-1500m。亜寒帯湿潤気候で石・湿地のツンドラが広がっている。

画像4)アチアイヴァヤム川*84年調査隊報告書より)

一日12kmの移動を目安に30kg程度のザックを背負い24日間(予備日含む)無補給で行動をする。通訳兼ガイドとして、現地協力者が同行。

◎調査:
カムチャツカガイド協会曰く、同地に関して1976年アーネスト・ムルダシェフ隊のレジャーナヤ峰初登頂の他、二隊の報告書が見つかっている。我々遠征隊は、それらの記述をもとに計画を作成した。

画像5)1984年 ニコライ隊

◎何故カムチャツカなのか
現代において、フロンティアは、地図上の空白は、消失した。そんな中「探検をする」のは難しい。大学探検部の活動となればなおさらだ。そこで我々は、政治的な理由から探検活動が行われなかった場所を探した。そして辿り着いたのが、極東ロシア・カムチャツカである。
カムチャツカ半島は、冷戦期にアメリカ合衆国に最も近いソ連領として軍事地体に指定された。結果として、1990年まで外国人の入域は禁止された。しかし、現在は状況が一転しロシア政府による 極東開発の目玉として観光特区に指定されている。
21世紀になって、今若き探検家へと開いた場所、それがカムチャツカなのだ。

2.行動記録・活動結果


【報告映像】
本遠征では活動期間中にカメラ3台、ドローン2台を使って撮影を行った。
報告映像としてのドキュメンタリーを制作するためである。

文字だけでは伝えきれない、私達の遠征の記録をご覧いただければと思う。


【移動経路など】

【行動記録】
日本を出発した隊員は、ウラジオストクを経由してロシア連邦東端部カムチャツカ州の州都、ペトロパブロフスク・カムチャツキーへと飛んだ。同地では、インストラクターのアントンとの合流と、装備・食料の買い出しを行った。その後は環太平洋造山帯の上空を飛び、半島北部・オリュトルスキー地区行政中心地であるティリチキへ向かった。既に周りに観光客の姿はなかったが、我々は「未踏の地」を求め更に奥へと進んだ。トナカイ遊牧民の村、アチアイヴァヤムまではヘリコプターでの移動である。天候が不安要素であったが、ヘリコプターは無事出発した。

しかし、現地についてからトラブルが起きた。まず、遠征の開始にあたって村長の許可が必要となった。これは重大な問題で、結果として活動開始が予定より4日遅れてしまった。次に、大雨と水害でキャタピラトラックによる移動が不可能になった。これもまた私達のスケジュールを大きく乱し、また、移動予定のルートを大幅に見直す必要が生じた。

アチアイヴァヤムから私達の目指すコリャーク山脈最高峰レジャーナヤまでは片道で約 130km。キャタピラトラックを使って移動する予定だったのは、村から 70km の場所にあるトナカイ遊牧のベースキャンプ(通称:レインディアステーション)まで。ここをすべて歩くとなれば、往復で 140km の追加歩行。しかも、そのほとんどが沼地であり、日程的にも体力的にもかなり厳しい。活動日程を伸ばすことも考えたが、夏が終わればすぐに気温は下がり、天気もより一層不安定になってしまう。

これ以上出発を遅らせる訳にはいかないと、遠征隊は代替策としてモーターボートを使い村を出発した。しかし、これもまた更なるトラブルの原因となる。私達の荷物は一人 30kg 近くあり、かなり重い。ボートの重量制限を大きく超えていた。仕方がないので、食糧を半分近く置いていくことにした。唐突に、ツンドラでのサバイバル生活が始まった。また、アチアイヴァヤム川に沿って遡上したモーターボートはわずか 30km 程進んだところで止まってしまう。大雨で増水した川も支流の方はかなり浅くなっており、これ以上は底がこすれてしまうとのことだった。

幸先の悪いスタートであった。しかし、フィールドに出たことでやっと先が見えない不安から開放された。少しずつだが、足を動かせば目的地に近づくことが出来る。ひとまずは 40km 先のレインディアステーションを目指すこととした。膝まで浸かる沼地も、体中を刺す大量の蚊と蝿も、広大なツンドラの美しさを前にして苦ではない。そう意気込んで歩き始めた。しかし不運というのは連鎖してしまうもので、歩きはじめて間もなく野田が足を捻ってしまった。結局初日の移動は 5km。キャンプを張り、薪を集め、魚を釣り、キノコを採集した。こうしたルーティンは初日こそ手探りではあったが、これから14日間のツンドラ生活で繰り返され、徐々に洗練されていく。

休息日を挟みながらも移動を続け、レインディアステーションに到着したのは四日後のことであった。小さな村になっていると聞いていたが、長く人が訪れていなかったためか残っていたのは小さな無人の小屋が一軒。トナカイも人の姿もなかった。私たちはというと、雨に降られてビショビショで、顔は蚊と蝿にやられてほとんど別人のよう。雨が続きそうなので、やむなく小屋を当座の活動拠点とした。この時点で残された行動帰還は十日ほど。就寝準備を済ませ、アントンを含む隊員全員でミーティングを行った。迎えのキャタピラトラックが来ないようならこれ以上の北上は危険、というのが結論であった。レジャーナヤ登頂を半分諦めることになる決断は、隊員全員にとっても苦しいものであった。しかし、何よりも隊員全員を無事に帰還させることを優先する必要があった。僅かな期待を込めて、キャタピラトラックが来ないものかとアチアイヴァヤムの村に衛星電話をかける日々が続く。

途中遊牧民との出会いもありながら、なかなか身動きの取れない私達のツンドラ生活は続いた。徐々に、私達隊員のモチベーションは遠征の第二目標である「コリャーク山脈における人類未踏峰の登頂」の達成へと変わりつつあった。幸いにも、レインディアステーションの北西に人類未踏のピークが存在したのだ。

隊員は食料調達組と未踏峰偵察組へ分かれて行動した。私を含む偵察組は、密生するマツや、先の見えない沢、クマの恐怖に戸惑いながらも計二回の日帰り偵察を敢行した。しかし結果として、私達の目指すピーク(仮称:ワセダ山)へのアプローチを確立することは出来なかった。標高を上げるとガレ場が増え、徐々に勾配が強くなった。偵察で到達した地点から山頂までの間に突破不可能な地形があることは、十分に考えられた。アタックをするのならば一泊二日だが、成功の可能性は低い。私達にアチアイヴァヤムの村から悲報が届いたのは、そんなタイミングであった。

もっと早くに気づくべきであったのかもしれない。待てど暮らせどレインディアステーションにトナカイが来ないのは、彼らもまた水害の影響にあっていたからだった。遊牧民とともに北上してくるはずの 3000 頭のトナカイの群れは、氾濫する川と深い沼地を超えられず、例年のルートを外れてアチアイヴァヤムから南へと向かった。つまり、私達が滞在している場所へは、トナカイはもちろん、遊牧民も、遊牧民と村をつなぐキャタピラトラックも来ない。ツンドラに取り残されてしまったのだ。三日後には、村へと歩き始めないと間に合わない。突然の悲報によって、ワセダ山へのアタックを翌朝強行することになった。深夜にミーティングを行い、装備やルートの確認を行った。怪我からひねりグセに発展してしまった野田は、涙ながらに小屋で待機をすることとなる。出発は翌朝5時。最小限の荷物で向かう。

アタック当日は、今までの不運が嘘のように順調であった。朝曇っていた空も昼には快晴になり、困難だと思われた稜線へのアプローチは、偶然見つけた岩場沿いに登ることが出来た。稜線に出てからは、いくつか難所もあったが無事山頂にたどり着くことが出来た。「世界で初めて自分たちが来た場所、世界で初めて自分たちが見た景色。」何度も何度もこの瞬間を想い描いていたが、実際その場に立つと夢の中のようで、現実とは思えなかったことを覚えている。

下山をして、レインディアステーションに戻ってからはあっという間だった。装備を乾かし、パッキングをして翌日出発。もう沼地での歩行にも慣れていた。軽い足取りで村へと帰る。(※移動二日目にして小野が体調を崩し、緊急ヘリを呼ぶ事態に発展してしまうだが、その報告は別記)

3.報告書(製作中)


現在製作中。年内に掲載予定。(2017.11.29)

 

4.メディア出演・報告会など


本活動では、遠征前後での「広報」、「報告」に重きを置いた。
「探検」と「旅行」を隔てるものが「記録」であり、「記録」は「報告」されなければ意味がない。私達の体験を知識に変えること、それが重要だと考えた。そのため、私達の「報告」をより多くの人に届けるため、「広報」は欠かせなかった。以下は当部でのブログ・SNS発信を除く、我々遠征隊の広報における主な成果である。

【協賛・支援】
・クラウドファンディングにて100人以上の支援者を集める
・アウトドア総合ブランドモンベルより装備提供
【報告会】
大隈講堂にて報告会を実施。200人以上の方に報告を行う(2017.10.30)
地平線会議にて講演会を実施(2017.11.24)
【メディア出演】
◆テレビ
フジテレビ系列『めざましテレビ』出演(2017.11.5)
◆ラジオ
JFNラジオ 『ON THE PLANET』出演(2017.6.28、他二回)
◆ウェブメディア
新聞社運営のウェブメディアにて記事掲載(来月中を予定)
◆雑誌
有名アウトドア誌 -2月号にて記事掲載(1月発売)

以上、多くの方の協力・応援によって成り立ったのが本活動である。
この場を借りて、改めてこの遠征に関わった多くの方に感謝する。

(隊長 井上 一星)